記憶用資料
──
これはお前が自身に宛てた手紙だ。
もしこれを読みながら、内容の意味がわからないなら、もう脳はほとんど役に立たなくなっているということだ。
まだ分かるようなら、それ以上読む必要のない。
まず記しておきたい。
お前は「ミズシマ」と名乗っていた男だ。
元は日本の兵士だった。戦争の終わり、バリのペニダ島に取り残され、ある“戦い”のあと、アチャリヤに引き取られた。
そして、今現在再び日本という土地で「刈谷正一」として生き直している。
だが今、記憶は崩れている。
名前も、過去も、何もかもが霞のように薄れていく。
お前が一緒に戦った仲間や中佐達の顔すら、もう思い出せない。
あれほど強く誓った“共に死ぬ”という言葉も、どこか現実味を失ってしまっている。
お前を救ってくれた先代のアチャリヤが言っていた。
「神の加護は肉体には及ぶが、魂の容れ物までは保たない」と。
そしてその数カ月後、彼は静かに輪廻の湖に身を沈めた。
それが自ら、次の輪に向かうという意味だと知っていたから。
今、お前は心も感情を失いつつある。
喜怒哀楽の揺れが鈍くなり、誰の死にも誰の言葉にも、もう揺さぶられない。
目に映るはずの“神孵の実”の輝きも、ただ沈んで見えるのではないか?
それでも、お前は茂木という男の助力で、聖地を少しずつ回復させた。
あれは正しい道だった。たぶん、そう信じるしかなかった。
だが、その過程で、お前は神孵の実を外の世界に出した。
その行為は、ムクティ・カヤの教義に背いた重大な罪だ。
いかなる理由があれど、神の恩寵を外の者に触れさせた時点で、輪廻の秩序からお前は外れた。
神の恩寵を失った者に待つのは、輪廻の外での終わりだけだ。
それでも──守りたかったのだ、この地を。
お前を受け入れ、かつての罪を赦してくれた、
この静かな聖地を。
だから、忘れてはならない。
もしこの手紙を読み返しても、誰のことも思い出せないなら。
茂木の顔も、輪廻の湖も、神孵の実の香りも何も感じなくなっていたなら。
ベッドの下にある十四年式拳銃を取れ。
それはかつての仲間の形見だ。一緒に戦った仲間の魂が宿っている。
今の“お前”にとって、それが最後の正しい行為となるだろう。
輪廻に入る資格がなくとも、
聖地の守り手として、
生まれた地で、終わる道を選べ。
水島だった男より